翻訳と辞書
Words near each other
・ ベルンハルト・グラス
・ ベルンハルト・グルーバー
・ ベルンハルト・ゲッケ
・ ベルンハルト・コンタルスキー
・ ベルンハルト・コール
・ ベルンハルト・シュターフェンハーゲン
・ ベルンハルト・シュミット
・ ベルンハルト・シュリンク
・ ベルンハルト・シンドバーグ
・ ベルンハルト・ジークフリート・アルビヌス
ベルンハルト・ツア・リッペ (1872-1934)
・ ベルンハルト・デルンブルク
・ ベルンハルト・ドライフス
・ ベルンハルト・ドンドルフ
・ ベルンハルト・ハイデン
・ ベルンハルト・パウムガルトゥナー
・ ベルンハルト・パウムガルトナー
・ ベルンハルト・フェルスター
・ ベルンハルト・フォン・ザクセン=マイニンゲン
・ ベルンハルト・フォン・ザクセン=マイニンゲン (1901-1984)


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

ベルンハルト・ツア・リッペ (1872-1934) : ウィキペディア日本語版
ベルンハルト・ツア・リッペ (1872-1934)

ベルンハルト・ツア・リッペBernhard Prinz zur Lippe, 1872年8月26日ボン郊外 - 1934年6月19日 ミュンヘン)は、ドイツの諸侯リッペ侯家の公子で、プロイセンの軍人。最後のリッペ侯レオポルト4世の弟。
リッペ=ビースターフェルト伯家家長エルンストとその妻の伯爵令嬢カロリーネ・フォン・ヴァルテンスレーベン〔在米プロイセン領事アルノルト・ハルバッハを外祖父に持ち、グスタフ・クルップとは従兄妹同士である。〕の間の第3子、次男として生まれた。全名は''ベルンハルト・カジミール・ヴィルヘルム・フリードリヒ・グスタフ・ハインリヒ・エドゥアルト''(''Bernhard Kasimir Wilhelm Friedrich Gustav Heinrich Eduard'')である。プロイセン陸軍に仕官し、最終階級は陸軍少将に至った。出生時の称号はリッペ=ビースターフェルト伯だったが、1905年に兄レオポルトがリッペ侯に即位したのに伴い、リッペ侯子に昇格した。
パーダーボルン駐屯の第8驃騎兵連隊に所属していた際、同僚ボード・フォン・エインハウゼン伯爵の妻アルムガルトと恋仲になり、アルムガルトは夫と離婚した。1909年3月4日、においてアルムガルトと結婚し、間に2人の息子をもうけた。この結婚はリッペ侯家の家憲により貴賤結婚とされ、妻子はビースターフェルト伯爵(夫人)の称号を認められるに留まった。
1916年2月24日、兄レオポルト4世の裁可により、ベルンハルトの婚姻は対等結婚として追認され、妻子にはリッペ=ビースターフェルト侯子(侯女)の称号と諸侯家の殿下(Durchlaucht)の敬称が認められた。2人の息子たちは、リッペ侯位継承権において最下位にあったが、この時の措置に伴って父に次ぐ順位に進んだ。
== 子女 ==
妻との間に2人の息子をもうけた。
*ベルンハルト・レオポルト・フリードリヒ・エーバーハルト・ユリウス・クルト・カール・ゴットフリート・ペーター(1911年 - 2004年) - 1937年、オランダ女王ユリアナと結婚
*エルンスト・アシュヴィン・ゲオルク・カール・ハインリヒ・イグナツ(1914年 - 1988年) - 1951年、シモーヌ・アルヌーと結婚

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ベルンハルト・ツア・リッペ (1872-1934)」の詳細全文を読む



スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.